江戸時代の終わりごろ。東京麻布の善福寺(福沢諭吉の菩提寺)にアメリカ領事館が置かれました。その間警備上の問題もあり、現在の三重県警本部あたりに土地の寄進を受け、藤堂藩から対面所の建物を譲り受け東京麻布の善福寺の出張所として慶応2年(1866)に開所しました。津においての浄土真宗の門徒にとっては大変な喜びであり、様々な法要・儀式では常にあふれんばかりの参拝者があったと伝えられています。また、当時の東京麻布の善福寺は徳川幕府から特別な庇護下にあった寺院ということもあり、藤堂藩主が偕楽公園の行き帰りに善福寺の門前を通るときには必ず下馬して通ったという逸話も残されています。
時代は明治になり明治6年(1875)に東京麻布の善福寺からアメリカの領事館は移転したため、津にいた善福寺の家族は東京に帰ることとなりました。しかし、津の門徒は出張所を残し、寺院として存続することを強く願いました。その門徒の願いを受け、東京麻布の善福寺より釋得忍が初代津の善福寺住職となりました。